その昔、藤原信通という人が、常陸守として任国にいたときのことである。
任期の終わる年の四月ごろ、おそろしく風が吹いた嵐の夜、某郡の東西浜(現在の茨城県?)というところに死人が打ち寄せられた。
死人の身長およそ十五メートル。
半ば砂に埋まって横たわっていたが、
騎乗して近寄った人の持つ弓の先端だけが、死体の向こう側にいる人からかろうじて見えた。
このことからも、その巨大さがわかる。
死体の首から上は千切れてなくなっていた。また、右手と左足もなかった。
鮫などが喰い切ったのであろうか。五体満足な姿だったら、もっとすごかっただろう。
俯せに砂に埋まっているので、男か女かわからない。しかし、身なりや肌つきから女だろうと思われた。
土地の人々はこれを見て、驚き呆れて騒ぐことかぎりなかった。
陸奥の国の海道というところでも、同じようなことがあった。
国司は、巨人が打ち寄せられたと聞いて、部下に見に行かせたという。
やはり死体は砂に埋もれていて、男女いずれとも判別できなかった。
女のようだなと思いながら見ていると、教養のある僧なんかは、
「この世にこんな巨人が住むところがあるなどとは、仏の教えにない。
だから思うに、これは阿修羅女などではあるまいか。
身なりがたいそう清浄な感じだし、もしかしてそうではないか」
などと、もっともらしく推理するのだった。
以下原文
—
今昔、藤原ノ信通ノ朝臣ト云ケル人、常陸ノ守ニテ其ノ国ニ有ケルニ、任畢ノ年四月許ノ比、風糸ヲドロゝシク吹キテ、極ク荒ケル夜、ソノ郡ノ東西ノ浜ト云フ所ニ死人被打寄タリケリ。
其ノ死人ノ長ケ五丈余也ケリ。臥長砂ニ半バ被埋タリケルニ、人高キ馬ニ乗リテ打寄タリケルニ、弓ヲ持タル末許ゾ此方ニ見ケル。然テハ其ノ程ニ可押量シ。