ビルとビルの間を通る時、誰かに撫でられたような気がしたことはありませんか?

小学生の時、俺の住んでいた町ではある噂がまことしやかに囁かれていた。それは、夜人気の無い道を歩いている時にビルとビルの隙間の前に立つと、その暗闇から細長い腕が伸びてきて引き摺り込まれ、二度と帰って来られないというものだった。振り解こうにもあちらの力は有り得ないほどに強く、助かったのは偶然服を掴まれて破れた人だけらしい。『隙間さん』と呼ばれていたそれは、始末が悪いことに特定の隙間からだけ出るものではなく、町中で目撃情報が挙がっていた。それ故、当時俺たち小学生はびびりまくり。中学生もびびりまくり。ヤンキーすら夜の町から居なくなるほどだった。

町がそんな噂で持ち切りだったある夏の日の夜、盆で実家に帰って来ていた従兄が神妙な顔をして家に入って来た。よく見ると若干顔色も悪い。何だか胸騒ぎのようなものがして、どうしたのか聞いた。
「いや、実はな…。ちょっと行った所にあるビルの隙間から…」
やっぱりそうか、と思った。でもそれならおかしいんじゃないか? 確かあれからは逃げられないという話だし。そしてよくよく話を聞いてみると、予想していた内容とは少し違っていた。

「…隙間から伸びてきた手に手首をガシッと掴まれてな、そいつが中に引っ張り込もうとするんだよ。そんでな」
従兄は即座に相手の力をいなすと、事もあろうかそのまま手首を極めて圧し折ってしまったのだと言う。結局、従兄の顔色が悪かったのは化け物がどうのこうのということではなく、例え変質者相手でもちょっとやりすぎちゃったかな…ということだったみたい。感心した俺が町の噂を教えると、「ああ、何だ。良かった。あれ人間じゃなかったのか」と、合気道四段の従兄は安堵しておられました。武道をやっている人間はみんなああなのだろうか?※

そしてそれから十年以上が経ち、俺も大人になってその町から離れた。つい最近その町に残っている弟に電話をしている時、ふとこの話を思い出して聞いてみた。そしたら何と『隙間さん』はまだその町に出没しているらしい。ただし、少し違うところがある。

十年前には「隙間に引き摺り込む」という恐ろしい存在だった隙間さんだが、今では隙間から手を伸ばして、前を通る人を撫でるだけらしい。弟の友人にも撫でられた奴が居るとか。人外にも「懲りる」という感情があるのだなあ…と思い知らされた。

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