深夜にひとりで残業をしていた時の話。数年前の12月の週末、翌週までに納品しなければいけない仕事をこなす為に、ひとり事務所に残って残業していた。気付けば深夜0時近く。連日の残業で体力的にも精神的もピークだったと思う。
資料集めの為に隣接している資料部屋で製品カタログを漁っていた時だった。カタログに目を落としていると、視界の隅に人の背丈程ある『黒い何か』が映っている。距離は3メートル程離れてはいるが、すぐそこにいて、それは蠢いている。『黒いものはヤバイ』と聞いていた私は即座に恐怖した。「どうすればいい?」と焦る反面、冷静に必要な資料項目を記憶していた。カタログを閉じ、棚に戻す際の振り返り様にそれの全貌を確認した。振り返る間の一瞬なのに目も合ってたと思う。
それは、真っ黒な毛むくじゃらで、目とむき出しの大きな歯が印象的だった。雰囲気をぶち壊す例えをすると、ウルトラマンの怪獣ピグモンを猫背にして凶悪にした感じだ。カタログを棚に戻してしまえば、奴がいる部屋を通って外に逃げるか、席に戻って仕事の続きをするかの二者択一。一瞬の内に脳内フル回転で考えた。
逃げる場合、席を通って鞄(車の鍵が入っている)を取らなければ家まで帰る手段がない。終電は過ぎているし、車で片道40分の道のりを走って逃げ切る体力も脚力もない。その前に、奴が佇んでいる横を通過しなければ席にも戻れなかった。
それから約2時間後、私は仕事を全て終えて帰路に着いた。私は逃げなかった。むしろ、仕事を投げ出して逃げられなかった。その間、部屋中を徘徊する奴をガン無視して仕事をこなした。『黒いモノはヤバイ』=『手遅れ』とも思ったので、腹をくくった。正直、目の前の黒ピグモンも怖かったが、漠然とした呪いよりも、納期を遅らせた事態の方が明確に想像出来て怖かったからだ。とはいえ恐怖心と生存本能はあったので、心の中で『なんでこのクソ忙しい時に出るんだ!? 空気読めよ!なんかしたら承知しねぇぞゴルァ!』っぽい事をひたすら叫んで心を強く持っていた。
あれから数年経つが、祟られた様な現象はない。今もそこで働いているが、あれを見たのはその時だけだ。別件で怪奇・不可思議体験はいくつかあるが、今も健在だ。気を強く持った者勝ちなのか、過労故の幻覚だったのか、誰かの守護を得たのか…。あれは一体なんだったのか、いまだ首を傾げている。