【亡き父の挨拶回り】坂の下から手を振ってくる男の人【切ない話】

5年ほど前に父を亡くしました。体を壊して働けなくなり、自棄になってアルコールやギャンブルに走って借金を作り、最後は「飲んだら死ぬよ」と医者に言われながらも、飲み続けて死んでしまいました。もっと優しくしてあげられたら自棄になることもなかったのかなとか、苦労させられたけど何かできることがあっただろうにと、後悔でいっぱいでした。

父が亡くなった朝、叔母が父が夢枕に立ってお辞儀して行ったと話していました。挨拶しに来たんだろうねえと言われていましたが、それならどうして私のところに来ないんだろうと、密かに憤慨したものでした。怖がりで暗い部屋や人気の無い夜道を歩くのは大嫌いな私ですが、いかにも『出そう』な場所に居れば父と会えるような気がして、わざとそういう場所で暫く佇んだりもしました。

あれは、父が亡くなって一ヶ月と少し経った頃でした。その夜も会社からの帰り道、一人でとぼとぼ歩いていました。その頃にはもう色々な後悔から、『お父さんは私を嫌いだったのかな』『優しくしてあげなかった私を恨んでるのかな』と思い詰めていました。どうして夢にさえ出てきてくれないんだろうと思っていました。家へ帰る長い坂道を登って行って、登り切ったところで振り返るのは私の癖です。

振り返って見ると、ずっと下の方に坂を降りて行く男の人が見えました。一目見て心臓がドキッとしました。その背中、その歩き方は、父によく似ていました。思わず小走りで追い掛けましたが、5、6歩行ったところで『まさかそんなことがあるわけないか』と我に返りました。

見れば見るほどよく似ていたので、姿が見えなくなるまでと思いぼんやり眺めていると、姿が見えなくなる直前に男の人が立ち止まりました。男の人は振り返り、こちらに向かって手を振るのです。
『誰に向かって手を振っているんだろう?』と不思議に思って辺りを見回しても、他に人影はありません。

そう言えば、坂を登って行った私とその人は途中で擦れ違うはずなのに、すれ違わなかったと後になって気付きました。混乱したまま手を振り返すと、男の人は一層大きく手を振った後、また歩いて行ってしまいました。それからは不思議と心が軽くなり、自分は愛されていたのだと、漠然とですが思えるようになりました。

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