【宮大工シリーズ】オオカミさまの社に立っていた少年【代わりの使い】

オオカミ様のお社を修理し終わった後の年末。親方の発案で親方とおかみさん、そして弟子達で年末旅行に行く事になった。行き先は熱田神宮と伊勢神宮。かなり遠い所だが、三種の神器が一つずつ納められている場所であり、また自分たちの仕事上一度くらいは見て置きたい所だということで、勉強と慰安を兼ねての旅行だ。オオカミ様のお社も無事奉納できた事だし、オオカミ様の総本社でもあるので丁度良いだろう、と言う事もあった。

出発の前日、薄暗くなり始めた夕方に一人でオオカミ様の社にお参りに行き酒を納めてお祈りをした。あれ以来、新築されたお社には誰の気配も感じない。だが俺はオオカミ様が帰ってきてないかを確認する為に週に一回は訪れている。この日もやはり帰ってきては居ないようだと思いつつ立ち上がり、踵を返して鳥居を潜ろうとした時。唐突に気配を感じて、俺はバッと振り向いた。お社の前に、神官服に身を包んだ少年が立っている。

涼しげな目元、高い鼻、薄い唇、細く尖った顎。雅な顔立ちの美少年だが、その瞳は吸い込まれそうな程に深い。そう、まるでオオカミ様の様な…。
「オオカミ、様…?」
俺は自分に言うように呟いた。しかし、雰囲気は似ているが明らかに違う。少年はふっと表情を和らげ微笑を浮かべると、何も言わずに振り返りお社の中に入って行った。一瞬後を追おうかと思ったが、思い直して振り返り、鳥居を潜って階段を降り始めた。

翌朝早く、俺たちを乗せた貸切りバスは出発した。今日は走り詰めで走り、夜に名古屋で一泊。翌日は名古屋市内で観光及び熱田神宮見学。夕方から移動し、伊勢で一泊。伊勢神宮を見学して海の幸を堪能し、バスの中で寝ながら地元へ帰ってくる日程。皆楽しそうに飲んで騒いでいるバスの中で、俺一人が昨日の事が気になり集中できずに居た。帰ってからまたお参りに行って確認してみればよい、と気を取り直して名古屋で楽しい一日を過ごし、伊勢へと移動。親方も弟子たちも飲んだ呉れての大騒ぎである。

自分も気を取り直した積りではあったが、移動中はなんとなく考え事をしてしまう事が多くなってしまった。伊勢での夜は大宴会で、ホテルの中での一次会だけで弟子の八割が討ち死に。夜の街へ飲みに出たのは結局親方とおかみさん、そして俺だけになってしまった。伊勢はおかみさんの出身地であり、実家もまだあるそうだが、勘当同然で飛び出してしまったので帰ろうとは思わないとの事。しかし、親方と俺の説得によって翌日実家へ寄る事に承知した。

翌朝、妙に朝早く目が覚めた俺は5時過ぎの暗い中、なんとなく伊勢神宮へと向かった。もちろん後で皆と来る訳だが、何故か妙に行かなければならないような気がした。伊勢神宮には外宮と内宮が存在し、外宮から内宮まではかなり距離があるのでホテルで自転車を借りて来た。未だ薄暗い中、まずは外宮でお参りをする。

敷地内を掃除している人や散歩している人と挨拶を交わしつつ歩いていると、身も精神も清められていくようだ。そして自転車を漕ぎ、内宮へと辿り着く。お社までの道をゆっくりと歩いていく。
周りは木々に囲まれ、静かな世界の中自分の息遣いだけがこの世の音の全てである様だった。皇大神宮に辿り着き、手順どおりのお参りをする。そして、オオカミ様の事を想いつつ一心にお祈りを捧げた。

十分ほどの後に踵を返して来た道を歩き出す。まだ早いからか、参道には相変わらず俺以外は誰も通っていない。ゆっくりと歩を進めるうち、今まで感じた事のない気配を右手方向から感じて顔を向けた。そこには、神服を着た女性が立っていた。圧倒的な存在感と、神々しいまでの波動、とでも言えば良いのか、自分の足がガクガクと震えるのを感じた。目はその御方に釘付けなのだが、真正面から見詰めてしまうのを恐れるように焦点が全く合わない。震えているのが足ではなく全身なのだと理解するのにどれほど掛かっただろうか。動く事も出来ずにただ震えているしかなかった。

「そなた、か」
声が聞こえた。耳にではなく、直接精神に響くように。
「そなたが、○○、ですか?」
俺の名を呼ばれたようだ。震える体と精神を抑え付け、俺は震える声で辛うじて答えた。
「は、はい、私が○○です…」
「そうですか…」
その御方は穏やかなお顔で微笑んだように見え、ふっと掻き消すように居なくなってしまった。俺はその場にへたり込み、しばらくは立ち上がることも出来なかった。そしてなんとかホテルに辿り着くと、ぶっ倒れるようにして眠ってしまったらしい。自分の記憶は内宮から自転車で漕ぎ出した所から後は、ホテルで目を覚ますともう夜だった所しか記憶が無かった。

俺が眠っている間、午前中は皆でお伊勢参りし、午後からは弟子たちは観光、親方とおかみさんは実家へ行ってきたそうだ。実家では突然の娘の帰郷に驚いた様だが暖かく迎えてくれ、今までのわだかまりも解けておかみさんもとても喜んでいたとの事。ただ、最近実家の玄関前に女の子の捨て子があったらしく、その子をどうするか相談中だったそうで、おかみさんは実家に数日間残って手伝ってくる事になったそうだ。

帰りのバスの中、俺は親方に内宮であった事と出発前にオオカミ様の社で逢った少年に着いて話した。親方は驚いたように聞いていたが、「おめぇがお伊勢さんでお逢いしたのは…おそらく…」
と言ったきりそれ以上は言わなかった。オオカミ様の社については、「もしかすると、代わったのかもしんねぇな…」と言ったきり、またも黙ってしまった。ただ、俺は何かの確信を持った。自分でもそれが何か全く解らなかったが、とにかくこれからも俺に出来る事を一つ一つこなして行けば必ず良い結果が出る、という確信を。弟子たちが疲れて眠りこける中、俺と親方は無言で酒を酌み交わした。

年末旅行から帰り、正月を迎える。仕事納めまでは忙しく、オオカミ様のお社へ行く暇は無かった。大晦日の夜、俺は除夜の鐘が鳴り始めるのと同時に、家を出てオオカミ様のお社へ向かった。色々と想う事はあるが、とりあえずは伊勢から無事に帰ってきた報告と新年の挨拶を兼ね、またもしかすると戻って来られているのではないかとの淡い期待も込めて新酒と髪飾りを持って来た。流石にかなり山の中にあるオオカミ様の社まで来る人は居ない。神主さんにより灯火が点され酒樽が奉納されていたが、誰も居ない境内は雪の中で静寂に包まれていた。鳥居を潜り、お社の前まで行き、酒樽と髪飾りを置いてお祈りをする。

しばらくの後に目を開けると、目の前にあの少年が立っていた。俺はちょっと驚いたが、静かに落ち着いた気分のまま彼に話し掛けてみた。
「貴方は、どなたですか?」
少年は数瞬の後に想像していたより低めの声で応えた。
「私は、代わりに使わされた者です」
「それは、貴方がこの社の主となったと言う事ですか?」
少年は少し首を傾げ、困ったような顔をした。俺は質問を変えてみた。
「オオカミ様は、どこに行かれたのですか?」
「…貴方は心静かにお待ちになると良いでしょう。これはお渡しておきます」
彼はいつの間にか銀の髪飾りを手に持っていた。俺はちょっと途惑ったが、「…お願いします」と言い、深く一礼した。身体を起こした時には、既に彼の姿はどこにも見えなかった。

親方の所へ新年の挨拶に向かう。親方の所へは既に年始周りのお客が何人も訪れていた。また、俺が縁のある人も結構来ていたので、そのまま親方の家でお相手をする事になってしまった。元旦は結局親方の家に泊めてもらい、2日の朝、部屋に帰り実家へ帰るための支度をした。此処から実家までは片道300キロはあるが、親方が7日まで休みを呉れたので久しぶりにゆっくり出来そうだ。車に荷物を積み込み、オオカミ様のお社のある山へ向かって一礼すると、車に乗り込みアクセルを踏み込んだ。

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