鎌倉の人骨

これは私が本当に体験したことです。




鎌倉の由比ヶ浜の近く、鶴ケ丘八幡宮へ伸びる若宮今は高層マンションに囲まれよく観察しないとそんなところがあるなんて見過ごしてしまうが、今もそこに鬱蒼とした樹木におおわれてひっそりとたたずんでいる。この森に沿った道から樹木の間をのぞくとその屋敷を垣間みることができるはずだ。屋敷は和風建築の平屋でだいたい建坪が百五十坪ほど、他に蔵と離れがある。中に入らないと判らないが中庭もあり、外からでも往時の立派さを想像することができる。

この屋敷はある財閥系の屋敷で別荘として使用されたものだが、どういう因果か戦後間もなく人が住まなくなり、それ以来荒れ放題である。実際、取り壊しの工事の準備もされたようだが、この手の話に付き物の関係者にけが人がでたりして、怖がって誰も手を出さなくなったようだ。そしてこの屋敷には昔の鎧甲冑を着た幽霊とお姫さまと思われる幽霊がでるという噂があった。タレントのキャッシー中島がここを訪れようとして入れずに代わりに逗子の火葬場の下の小坪トンネルで大変な目にあったと言う話は有名である。
 
僕が大学二年の頃、サークルの後輩からこの屋敷のことを聞いた。
ただこの話も又聞きだったので事実とはだいぶ違っていた。その話とは、鎌倉女学院の隣の森の中に洋館があり、魔女のようなばあさんが守っている。中は地下室に行く階段を発見。おりてみると地下室には水がたまっていて観音扉の壁がある。思い切って扉を開けてみると、棺桶があってさすがに恐くなり逃げ出した。というたわいもない話なのだが、退屈していた僕は夜中に例の喫茶店にたむろっている連中を引き連れて車で鎌倉に行ってその洋館を探そうということになった。そして店が終わりマスターを連れて二台の車に分乗して鎌倉をめざした。
しかし鎌倉女学院の隣は空き地になっていて駐車場として使っているようだった。あの話もだいぶ前のことだからきっと屋敷も取り壊してしまったんだろうとあきらめかけた。

しかし車に戻る途中、その空き地から二百メートルほど海岸側に行ったところに鬱蒼とした怪しげな森がある。よく目を凝らしてみるとそこには朽ちかけた門のよう柱が立っている。そして外部からの進入を拒んでいるかのように外車が停まっているのだ。ただその外車は廃車同然と言って良く、駐車というより放置しているといった風だった。僕たちはこの入り口をさえぎる外車をすり抜けて門の中に入っていった。
門からは細い道が中に続いていたが草はぼうぼうと前は薮になっていて進むのにだいぶ手間取った。薮をかき分け二十メートルほど進むと前が開けた。

そこには月明かりに照らされて大きな屋敷が建っていた。この時は身震いした。噂にすぎないと思って半分あきらめていたロマンが現実にあるのだ。大げさな言い方だが、それほどこの屋敷は堂々としていて噂に違わない迫力と霊気をもって汗だくの僕たちに迫ってきたのである。ただこの屋敷は噂の洋館ではなくどう見ても日本式の屋敷である。間口は二十メートルも有ろうか。玄関も大きく旅館か料亭のような造りをしていた。きっとうわさ話では旅館が洋館とすり変わったのではないかと思う。

屋敷は立派なだけではなく幽霊屋敷の雰囲気を十分すぎるほど揃えていた。玄関をあがると長い廊下があり左右に部屋がある。中庭もあり崩れた灯篭なんかも見える。一番奥の部屋には中身のはみ出たソファーがあり、所々壁紙がはみ出していてお経かなんかが書いてある。廊下を左に折れると十畳ほどの厨房があり上を見ると明かり取りから星が見えた。そこからは渡り廊下になっていて、ご丁寧にも首がもげた胸像なぞが転がっている。渡り廊下の先は蔵であった。ただ入り口が開いたまんまで中には何もなかった。噂にあった地下への階段も見つかった。これは先ほどの中庭へ屋敷に入らなくてすむように外庭から廊下の下をくぐって行くためのもので確かに底には水がたまってはいたが噂の観音扉は無かった。

この屋敷から十メートルほど隔てて離れがあった。六畳二間ぐらいの小さな家だがなんだか母屋よりこちらの方が不気味な感じがした。一通り中を巡ってみて、確かに因縁めいた屋敷だが大勢(8人)で行ったので対して恐怖は感じなかった。この時は遊園地のお化け屋敷に来たぐらいな気持ちだったと思う。この間、ポラロイドカメラをあちこちで撮った。この屋敷をでてくるときに判ったが普段は入れないように森全体を鉄条網で括っている。夜が明けてきたのでこの日は東京に帰った。

次の日夕方、昨夜のメンバーを例の喫茶店に集めてポラロイドを見てみることにした。夕べは疲れていたので、ゆっくり写真を見る気になれなかったのだ。何枚かは屋敷の中の様子が写っていたのだが、一枚だけ妙な写真があった。他の写真とは異なる色調の一枚があった。それにはぼやけた画面一杯に真っ青な女の顔が写っていたのだ。

最初は一緒に行ったメンバーの顔がぶれて写っているのかと思ったが、こんな顔の人間はいない。試しにメンバーの顔を同じ角度でポラロイドで取ってみたがやはり違っていた。それでやっと大騒ぎとなった。女の人の顔は目が鋭く睨み付けるようで女優の大谷直子に似ていた。うなじには着物を着ているように襟がはっきりと写っている。よく心霊写真と言うのがあるがあんな生やさしいはっきりとしないものでは無い。僕たちはあまりの恐怖に写真を店に残して忘れようとすることにした。

そんなことがあって半年。ほとぼりが冷めたのか、再びその廃屋へ行ってみようということになった。今度は冬である。さすがに今度は屋敷の中まで入ろうとするものは少なく、マスターと僕ぐらいであった。女の写真が撮れたのは離れだということが撮った写真の順番から判っていたのでそこでポラロイドのシャッターをきった。そして敷地をでてそのポラをポケットに入れ、早く現像できるようにした。ポケットから出したポラを見てみると今度は女の写真と同じ色調だが、もっとすごいものが写っていた。青い色調の画面には今度はしゃれこうべが写っていたのである。もうみんなぶるぶると震えだし一刻も早く帰ろうと言い出すものもいた。しかしマスターはもう一度撮ってくると言って再び廃屋に入って行った。待つこと十分。廃屋からでてきたマスターは何事もなかったようにシャッターを切る瞬間にカメラが作動しなくなったと笑っていた。

この写真は喫茶KAYにずいぶんと長い間保管してあったがいつのまにか紛失してしまった。十年くらい前に僕がオーエムシーに持ってきたことがあったので古い社員なら見た方もいるだろうと思う。その廃屋は崩壊寸前のまま今もそこにある。

追記
この時は私はまだ大学生であった。数年後会社に就職してから書店である本をみつけた。それは鈴木尚氏という東京大学の骨相学の教授の著書「骨」である。内容は日本各地で発見、発掘されたいわくつきの骨を骨相学の立場から解説する本である。いくつかの章があり、中に「鎌倉の人骨」という章がある。

鎌倉は中世にたくさんの市街戦があり、たくさんの人骨が埋まっている。土地を造成すると必ずたくさんの人骨が見つかる。 そこを学術事業として由比ヶ浜から発掘調査をしたことがある。その図面が本に載っていた。私はそれを見て唖然とした。なんと発掘調査は例の幽霊屋敷の手前で終わっていたのだ。だとしたらまだ骨は埋まったままであるはずなのだ。

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