持ち主がバイク事故で死んだ寝袋の不思議

俺たちの部室には、寝袋がいくつもあった。どれも古く、カビ臭く、あまり気分の良いものではなかったが、在学中だけ山をやる者や、新入生が使うには手頃だった。その中にひとつ、山行のたびに誰かが持っていく寝袋があった。裏地には名前がマジックで書かれており、OB連中の話によれば持ち主はバイク事故で死んだとのことだった。それが本当かどうか、調べる方法はいくつもあるが、山岳部に限らず、どこの部にもある話なので誰も気にしなかった。野球部ならグラブやバット、テニス部なら古いラケットにまつわる似たような話が語り継がれているだろう。

その寝袋を毎回山に持って行くのには、それなりの理由があった。いわゆる部活動の山行では、楽しむことより鍛錬や訓練が目的化する傾向があり、体調が万全でないと上級生でも苦しむ場合がある。丹沢山地で焼山・黍殻山・蛭ヶ岳・丹沢山・塔ノ岳と歩き、最後は大倉尾根を下るというルートを一日でこなしたこともある。可能なら、という条件付きで塔ノ岳の後、大山まで行くことも計画に 含まれていたが、さすがにそれは無理だった。馬鹿げた行程だが、当時はそう思わず、計画どおり歩くことに熱中していた。

誰かが疲労でぐったりしてしまうと、この寝袋の出番だ。「バテたか、寝袋出せ」というのが決まり文句で、寝袋に押し込み、ほんの少し休ませると疲労がとれ、驚くほど体調が良くなる。気の持ちようだろうとは思うが、確かに不思議なほど効いた。OB会と称した大宴会が催された時、十以上も年齢の離れた初対面の後輩に、その寝袋のことを訊ねた。彼は、その年の卒業生だった。
「毎回、持って行きますよ」
今でも効くのか?質問を重ねると、一度だけ世話になりましたと答えが返ってきた。

話をするうち、気付いたことがある。彼がいう「魔法の寝袋」は、裏地にマジックで名前が書かれていない。持ち主がバイク事故で死んだことは変わっていなかったが、どうやら長い間に、別の寝袋とすりかわったらしい。ま、そんなもんだろうなと、俺は思った。

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