これは私が京都のとある総合病院で体験したできごとです。当時、入院患者が200名程度の中規模病院で勤務していました。その病院は、戦後間もなくキリスト教精神に基づいて設立された、日本有数の医療団が運営する病院でした。入院患者は主に高齢者や終末期を迎えたガン患者など。自然に囲まれ静かで穏やかな環境でしたが、人が生死の境をさまよう場所であることには違いありませんでした。
ある日の夜、高齢のある女性患者がスタッフを呼び止めこう言ったのです。
「今日は時代祭なの?」
スタッフも私も初めは何のことか分かりませんでした。時代祭というのは言わずと知れた京都の風物詩。奈良時代、平安時代、戦国時代、明治時代といったように、あらゆる時代の衣装に身を包んだ華やかな行列が京都市内を練り歩く、豪華絢爛な「祭り」です。 京都御所を出発した行列が平安神宮を目指して市街地を闊歩する、観光の目玉でもある有名なお祭りです。
「今日はお祭りじゃありなせんよ。○○さん、どうしましたか?」
私たちは高齢の患者が認知症を発症しつつあるのではないかと、一抹の不安を覚えました。こういった言動は認知症の初期症状であるケースがあるのです。年をとれば誰もが経験する道かもしれませんが、退院を目標に看護計画を立てていた看護スタッフとっては、患者のこのひとことは看過できないものでした。
「そうよね…。時代祭はこんな時期にやらないわよね。」
「はい。それにもう夜ですから、外もよく見えないですし。」
例年、時代祭が行われるのは日中です。少なくとも夜に時代衣装で歩く人がいるわけはありません。一瞬不安になったものの、そのあとは思いのほか患者の口ぶりはしっかりしていました。
「いえね、さっきそこからお侍さんがたくさん見えたから。きっと、○○芸術大学の若い学生さんたちね」
病院から程近いところに大きな芸術大学があり、そこの学生たちがサークル活動などで創作衣装を着て歩いていることが度々あったのです。私たちもそう思いました。
「そうですね。きっとそうでしょう。学生さんたちはこんな時間でも平気なんですね。」
患者は納得した様子でベッドに横になりました。私たちも病室を後にしました。
別棟とつながる4階渡り廊下に差し掛かったときです。ふと、窓の外に何かが動く気配を感じました。すぐ脇の山肌がいつものように目に入りました。木々が揺れた残像でも見えたかな、と思った瞬間、一緒にいたスタッフが私の腕にしがみついてきたのです。「え?」と思って見やった窓の外、山肌近くに見えたのは、2列に並んで更新する武者姿の行列でした。生身の人間が4階の高さを歩けるはずがありません。患者が見たのもこの行列だったのでしょうか。病院だからなのか京都という土地柄だからなのか、いまだに供養されない不思議な存在がいるのかも知れません。