阪神大震災の少し前、まだ六甲〇ホテルに旧館があったころ、そこに泊まった母が座敷わらしを見たらしい。母は仲のよい叔母と泊まったのだが、その時叔母はシャワーをつかっていて母はうつらうつらしていた。叔母が浴室で『すみれの花咲くころ』を歌っているのがきこえていた。すると突然、「きゃっきゃっ」と幼子の笑い声がすぐそばで聞こえた。見ると、身長30センチほどで、ベージュのドンゴロス(よくわからないけど母がそう言うので)のようなものを着た、おかっぱ頭の幼女が母を見て笑っているのだった。
何がおかしいのか、小さなもみじのような両手で口をかくし、いつまでも可愛い声でわらっている。母は思わず、「あんた、こんなところに出てきたらいかんやないの」と言ったそうだ。するとその幼子は元気のいい声で「はい!」と言い、部屋のドアに向かって歩いていったのだが、歩き方が普通ではなかった。長いドンゴロスのようなものを着ていたので足元は見えなかったが、動きが二本足のそれというより、まるでキャタピラーがついているかのように、なめらかに床を移動していくのだ。やがてドアの前にたどりつくと、その幼子はとどかぬドアのノブに手をのばしたかと思うといきなり消えてしまったのだという。あまりの出来事に、母は叔母に何も言えなかった。
後日、母は六甲〇ホテルの支配人に思いきって手紙をおくったそうだ。部屋で見たあの幼子のことをしらせるために。ほどなく、支配人から思いがけなく返事をもらった。なにぶん、長い歴史のあるホテルですので不思議なこともあるかと存じます。とあり、件の部屋は神主さんを呼んで丁重にお清めをさせていただきました。という内容だった。六甲〇ホテルの旧館もとっくに取り壊され、今はない。けれども母はいまだにあの、可愛い童女の笑い声が忘れられないと言っている。