後頭部の傷がべちゃっと縦に裂け、中から目玉が現れた

こないだの夕方犬の散歩に行った時の話。

いつもは近所を一回りして帰ってくるだけなんだけど、その日は何故か足を延ばしてみたくなって山の方へ向かった。その山は家から歩いて15分ほどのところにあり、さほど高くはなく、散歩には持って来いの規模だが今まで登ったことはなかった。神社の脇に登り口があり、道は舗装されていない山道で人一人が通れるくらいの道。


犬は見知らぬ散歩コースにノリノリでぐいぐい引っ張る。その勢いに任せて早足で進みあっという間に山頂に着いた。山頂はだだっ広い原っぱになっていてあっちとこっちの隅にベンチがあり、奥に何やら石碑のようなものがあった。犬が更にテンションが上がってぐいぐい引っ張るのでヒモを離して自由にしてやるとベンチの方へ走って行った。俺は原っぱを横切って黒っぽい石碑へ近づいた。表面には何やら文字が彫ってあるが大分薄くなっていて読めない。

「大……国…命……之……?」

俺は後ろに回ってみた。たくさんの人名らしきものが彫りつけてあるが矢張りよく見えない。それでも一通り読んでみようとしていると、不意に強い風が吹きつけて木々がバサバサと鳴った。思わず身を竦めて反射的に辺りを見回す。すると何やら違和感を覚えた。もう一度辺りを見回すと、隅のベンチ(犬が行ったのとは違う方)に誰かが座っている。髪の長さから見て女のようだ。

さっきはいなかったから俺の後から登ってきたのか、先に来ていて奥の方を歩いていたのかそれとも反対側から登ってきたのか。いずれにしてもちょっとびっくりしたし不気味に感じた。だからもう下りようと思い犬を捜したが見当たらない。普段なら名前を呼ぶんだが、声を出すとベンチの女が何か反応するんじゃないかと思って嫌だった。そう思ってる時点でおかしいんだけど、その時はそう思った。

俺は声を出さずにとりあえず犬が向かったベンチの方へ歩き出した。近づいて行くと妙なことに気付いた。犬がベンチの陰に隠れるようにしてじっと座っているのだ。犬が勝手に大人しく座っていることもおかしいのだが、さっき見えなかったことも不思議だった。ベンチは犬を覆い隠せるような遮蔽物ではないからだ。俺は浮かんでくる疑問をそのままに犬のヒモを持ちふと振り返って女のいるベンチを見た。いない。首を戻した。・・・・・いる。いる!?

俺はめちゃくちゃびっくりして「はあ……っ」と声を出して後ろへ転んだ。隅にいたはずの女がいきなりこっちのベンチへ座っている。有り得ない。不可能だ。歩いてくる音も気配も全く無かったし今まで視界にも入らなかったのだから。女は身動き一つしない。俺の方も転んだまま腰から下が動かなかった。上半身は震えてヤバい。俺はベンチの後ろにいたから女の後ろ姿しか見えない。ぞろっとした黒髪が地面に届くほど垂れている。至近距離だと何やら禍々しく見える。しかも毛一本たりとも動かない。まるで重りのようだ。

その時黒髪が真ん中からぐぐっと持ち上がり2つに分かれた。風ではなく、まるで自発的な動きのようだった。そしてその下には――焼けただれたようなのっぺりした皮膚が現れた。表面にいくつかの鋭い傷が走っている。後頭部の2つの傷がべちゃっと縦に裂けて中からぎょろりとした目玉が現れた。俺は必死で身体を動けと念じると少し動けるようになった。 少しずつ後ずさりしながら何とか立ち上がると、ヒモを引っ張って反対側に駆け出そうとした。その刹那、現れた。ヌラヌラてかっている。「うわぁーーー」俺は悲鳴を上げて一目散に駆け出した。ヒモも離してしまった。

どこをどう走ったのか解らない。やっと家の近所まで来ると植木鉢の世話をしていた爺さんが何事かとこっちを見ている。俺ははあはあ息を吐きながら家へ入って、母に全て話した。母は「何それ」と気味悪そうに聞いていたが、犬を置いてきたことを知ると捜しに行かないとと言った。でももう夕闇も迫っており一人で引き返すのは御免だったので親父が帰ってくるのを待つことになった。2時間くらいして帰宅した親父は話を聞いて何やってんだと怒鳴りすぐまた出かけようとしたので慌ててついていった。怖いが親父一人行かせるのは無責任だと思ったから。車では山頂まで行けないのでまた歩いて同じ道を登った。親父はどんどん歩いていき俺も置いていかれないよう必死で歩いた。

山頂に着くと辺りは真っ暗で懐中電灯無しではほぼ何も見えなかった。俺は親父に犬がいたベンチを教えてそっちへ行った。照らし出されたベンチは無人で何の気配もない。親父は近くまで行かず、原っぱを歩き回りながらあちこちを照らし出した。もう一方のベンチも石碑の周りにも何も見えない。犬はどこかに行ってしまったのか。入れ違いに家へ向かったのかも知れない。だが俺にはもっと違う可能性が頭に浮かんで仕方なかった。

親父は石碑の方へ歩いていく。裏へ回るつもりのようだ。俺も急いでついていった。石碑はさっきより巨大に見えた。裏へ回ったがそこにも犬はいなかった。親父は表面を照らして文字を読み取ろうとしているらしい。俺はさっき同じことをしている時に初めてベンチの女を認めたことを思って嫌な気分だった。思わずベンチの方を見るが勿論何も見えない。「こりゃ何だ?」急に親父が声を出した。石碑の下を照らしている。光の中にはヒモが落ちていた。俺は思わず屈み込んでヒモを手に取った。間違いない。犬のヒモだ。ヒモだけが落ちている。俺はそのまま立ち上がろうとした。その瞬間ピーンとヒモが張った。

「うわっ」
思わずヒモを離した俺はバランスを崩して尻餅をついた。
「何やってんだ」
「いやヒモが何か、引っかかってて」
親父が屈んでヒモを引っ張った。矢張りどこかに引っかかっている。ヒモに沿って照らしていくと何と石碑の下へ挟まれていた。全く隙間など空いていないし挟まれるはずもない場所だ。なのに挟まれている。親父は首を傾げながら何度か力一杯引っ張ったがびくともしない。俺も手伝ったがダメだった。終いには千切ろうとしたがそれも出来なかった。

とうとうその夜は諦めて帰ることになり、早朝また来ることにした。犬は帰宅していなかった。翌朝早起きして再び山へ向かった。夜露で何度か滑りながら山頂へ着く。何もいない。石碑の裏へ回るとヒモはまだちゃんとあった。改めて確認するがやはり犬のヒモだ。そして石碑の下に挟まっている。また引っ張ってみるがやっぱり取れない。しかし俺は昨夜は気付かなかったことに気付いた。ヒモの長さだ。今外に出ている分はちょうどヒモの全長と一致するはずなのだ。つまり挟まっている部分など殆どないことになる。犬を除いては。

まさかこのヒモの先には犬が繋がれているのか?そしてこの下に……。俺がそう言うと親父は笑い飛ばして、持ってきた枝切りバサミでヒモを挟まっている根元から切断するとさっさと引き返し始めた。犬はとっくに余所へ行ったと思ったらしい。俺は立ち去りがたかったが一人になるのも嫌なので石碑を振り返りつつ後に続いた。その時ふと耳元で「本当はお前も……」と聞こえた。俺は脱兎の如く駆け出しと親父を追い抜き下山した。犬はまだ見つからないが、あれから夜中にどこからともなく悲しげな遠吠えが聞こえてくることがある。

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