6年前、わたしは現在の家に引っ越してきた。家の隣はお寺で、敷地を隔てる塀の向こうは墓地になっている。隣が墓地なので平日は静かで良い所だ。小さな寺ではあるが地域住民とのふれあいを大切にしているらしく、大晦日には近所の人たちがみんなで除夜の鐘を突きに訪れる。
5年ほど前の大晦日、もうじき新年という時刻になって隣の寺へ出かけてみた。境内の鐘突き堂には10人くらいの人が並んで鐘を突く順番を待っていた。住職の奥さんらしき女性が長テーブルの前で訪れた人たちに甘酒をふるまっていた。わたしも甘酒をもらおうとした時、不意に横から初老の男性が手を伸ばして先に甘酒を受け取った。順番くらい守ってほしい・・・そんな考えが頭をよぎり、わたしは何気なく男性を横目でにらんだ。ところが、男性は受け取った甘酒を飲む様子もなく、鐘付き堂の片隅に祭られたお地蔵さんの前へ供えた。
よく見ると、小さなお地蔵さんの前には甘酒の入った紙コップが沢山供えられている。この辺の風習なのだろうか、とにかく年齢層の高い人たちは皆このお地蔵さんに甘酒を供えているようだった。
境内にはそれほど大勢の人はいなかった。だが人波が途切れることもなかった。鐘を突く数が108つという決まりもないらしく、ポツリポツリとやってきては甘酒を飲み、あるいはお地蔵さんに供え、鐘を突いて帰って行く。そんな光景を本堂の階段に座って眺めていると、隣の家に住む旦那さんがわたしに声をかけてきた。
しばらくその旦那さんと世間話をして、家に戻ったのは午前2時過ぎ。その時間にもまだ鐘を突く人がいて、わたしは除夜の鐘を聞きながら隣家の旦那さんと一緒に帰路につき、玄関の前で別れた。
正月が終わっていつも通りの生活に慣れてきた頃、隣家の奥さんと偶然玄関先で行き会った。奥さんはわたしの顔を見るなり「ちょっと待ってて下さい」と言って自分の家に駆け戻り、すぐに慌てた様子で戻ってきた。そしてわたしに「おとしだま」と書かれたポチ袋を差し出したのだ。
この年令になって「おとしだま」をもらえる訳はない。わたしが不思議そうな顔をしていると彼女は言った。「ごめんなさいね、お子さんがお産まれになったなんて主人から聞くまで知らなかったもので」
当時、わたしに子どもはいなかった。そう告げると奥さんは首をひねって答えた。「でも、主人が大晦日にお寺でお子さんを連れたあなたとお会いしたって言ってましたけど」
あとで隣家の旦那さんに会った時、ことの詳細を聞いた。わたしが本堂の階段に座っていた時から、わたしの隣にはんてんを着た2才くらいの子どもが一緒にいたらしい。その子はわたしと旦那さんが帰る時もずっと着いて来て、わたしと一緒に家に入って行ったという。大晦日になる度にその気味の悪い話を思い出すのだが、去年の大晦日、やっとその子の正体が判明した。
寺の鐘突き堂の片隅にあるお地蔵さん。実は無縁仏の母子の霊を弔う為に祭られたものだという。昭和の初め頃、この土地に貧しい母子がやって来て寺の鐘突き堂で死んだ。どういういきさつかは判らないが、そこで行き倒れたのだ。仕方なく無縁仏の塚に葬ったのだが、それからというものこの辺で悪いことばかりが続いた。そこで母子の亡骸を鐘突き堂の片隅に移し、お地蔵さんを祭って手厚く葬ると悪いことは起こらなくなった。その話しを知っている近所の年寄り達は今でも、このお地蔵さんに様々な御供物を捧げるのだと言う。
行き倒れた母子の子どもの年令はちょうど2才ぐらいだったという。ちょっと信じられないが、あの時隣家の旦那さんが見た子どもはきっとその子に違いない。
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EzNTU2MTk
無理やり納得しました感