まだ名前がNTTになる前の電話会社に務めていたKさんはすごい釣り好きで、同じ職場のHさんとよく夜釣りにいっていた。地元のほとんどの釣り場を知っているKさんだが、ある時船釣りをしていたら、知っている小さな漁村の近くに、未踏と思われる入り江と岬があるのを見つけた。Kさんはそのあたりが何故かとてもよい釣り場のような気がして、数日後にその漁村の知り合いの爺さんに、その岬と入り江に行ける山道を聞いた。すると年配の漁師の爺さんは、「あそこは変だから行かないほうがいい」と言って、なかなか抜け道を教えてくれない。
「何が変なのか?」とKさんが聞くと、爺さんは「昔山伏だか坊さんがいたところで、ドザエモンもあそこだけは避ける。いい漁場だがとにかくおかしなところで、浜の奴は誰もあそこには行かない。・・・・あー、昔行った奴がいて、しばらく大漁だったが、頭がおかしくなって行かなくなっちまったよ。あんたらもやめとけ」漁師はそういうと忙しそうに船に乗ってしまった。Kさんはその場では一度引き上げたが、未知の釣り場に対しての興味は消えなかった。
Kさんは地元の地図を調べつつ、その後何度か休日にこの漁村の港で釣りをした。場所をしょっちゅう変えたり、頻繁に双眼鏡でくだんの入り江と岬の方を見たのは、何らかのタブーを感じたため、慎重に下調べをしたかったのだ。海上からも位置関係を調べ、夏ごろにはほぼ抜け道もわかった。
そして、八月末のある夕方。
KさんとHさんは、漁村と関係の無い山奥の林道から、例の場所に近いところまで車で来ると、地図どおりの抜け道を見つけ、30分ほど歩いた。松林が急に開けて、広い海が広がり、眼下に小さな入り江と、岸壁に刻まれたたくさんの古い磨崖仏(まがいぶつ=磐に刻まれた仏像)が見える。それは不気味と言うよりもどこか荘厳さと神秘さを感じさせ、むしろ絶景だった。望んだ釣り場に来られた興奮もあったのかもしれない。浜の爺さんは、何か村の宗教的な理由でここに来るなと言ったのかも知れないな、とKさんは思った。人の入った跡はほとんど無く、魚影も濃いように感じられる。
KさんとHさんは、いそいそと支度して、10メートルほどの崖の上から、磯に釣り糸をたらした。入り江は一望できるが、海は向かい側の岬にさえぎられ、右の視界半分ほどは崖とその上の松林、といった視界だ。夕方六時過ぎにここに来て、長い時間が流れた。思っていたほど忙しい釣りではないが、形のいいチヌが8枚ほど。まあ上等だろう。ラジオを聴きながら、食事を取り、世間話をし、ビールを飲み、アタリも全く無くなって、しばらく時間が流れた・・・・。
午前二時ごろ、ほぼ作業のように餌を確認し、また仕掛けを放り、という作業を繰り返していたら、Hさんが妙な事を言った。「ベタ帆かな?真夜中なのに蒸し暑くなってきたし、波の音がほとんどしないね」言われてみれば、そうだ。ライトで照らされた周囲以外、何も見えないし、何も動かない。ただ、虫も飛んでいないで、異様に蒸し暑い。生暖かい、というのだろうか?
「そろそろ帰ろうか、なんかもう飽きてきたし」KさんがHさんの方を見ながら言うと、Hさんは入り江のほうを見て固まっていた。「Kさん、あれ、なんだ?」Hさんが指差すほうを見ると、岬にさえぎられていた海から、タンカーのような巨大な影がぬうと伸びてきた。船?それならタンカー?または客船? いや、そんな大きな船がここにいるはずが・・・・?!
大きな影はいっせいに窓らしき四角い光の穴で一杯になり、船体と思しき部分にもたくさんの光る四角形が現れた。見たことも無い船だ!
木製のようにも見える船は姿を現すと、Kさんたちのいる岬に突っ込んでくる。「わああああ!なんだぁ、あれー!」Hさんが叫ぶと同時に船は突っ込んできた。大音響と地響きが起きる、と目をつぶった。
何も起きない。二人して逃げる姿勢で固まったが、恐る恐る海のほうを見た。すると今度は、自分たちのいた場所に、真っ黒い巨大な人影が立っていた。身長は2メートルを遥かに超え、3メートルあったかも知れない。「あっ、あっばぁー!」「ぎゃがわわ!」二人は飛び上がり、狂ったように叫んだ。もう、KさんとHさんは全速力で走り、車に乗り、信じられない速度で飛ばして、近くの大きな都市まですっとんだ。「あれはなんだったんだ!!」その言葉を何度も車の中で繰り返した。
Kさん、Hさんはそれ以来、夜釣りをすっぱりとやめてしまった。後でわかったことだが、例の漁村は「海入道」が出るという昔話がある。
しかし二人が見たものが何だったのかは誰にもわからない。