妖怪・怪異・八百万の神々

振袖火事の真相

江戸時代の怖い話を紹介します。振袖火事とも呼ばれる「明暦の大火」の真相と言われている話です。調べてみた所これ以外にも諸説あるようですが、まあこれも一つの話ということで。


場所は江戸。1655(明暦1)年1月16日 浅草諏訪町大増屋十右衛門の娘 おきくが病死した。享年16歳。
彼女の着ていた紫ちりめんの振袖は、ある古着屋に売られ、やがて本郷元町鞠屋吉兵衛の娘お花のものとなった。
1656(明暦2)年1月16日 そのお花が病死した。享年16歳。

またその振袖は、古着屋を通じて、中橋の質屋伊勢屋五兵衛の娘のものとなった。
ところがその娘も1657(明暦3)年1月16日に病死した。享年16歳。
その葬儀が本郷丸山町本妙寺でおこなわれたところ、そこで亡くなった3人の娘の遺族が顔をあわせることとなり、同じ日に。しかも同じ年齢で亡くなったことに、お互い驚きあいました。そこで遺族達は、この不気味な振袖は、焼き払おうということになりました。

しかし。焼いた振袖は火のついたまま舞い上がり、本妙寺の本堂へ出火したのでした。火はたちどころに江戸市中に燃え広がり、江戸の大半が焼失しました。これが世に云う振袖火事(明暦の大火)です。この火事で、10万7千人もの人が犠牲となりました…