妖怪・怪異・八百万の神々

宮司失踪の真相

先日、以前勤めていた職場の同僚と再会した。わたしの前職場は神社だ。同僚は神主。よもやま話をしているうちに、ある神主の話題が出た。


その人は大きな神社の宮司を十数年来務めてきた人で、些細なことは気に留めないタイプの、かなり改革的な性格だった。ハッキリ物を言う彼を嫌っている人もいたが、わたしは屈託ない性分の彼と気が合った。その彼が、一年前から行方不明だと言うのだ。事件にでも巻き込まれたのか、とか、捜索願いは出ているのか、とか、あれこれ真剣に訊ねると、元同僚は微妙な顔つきでこんなことを言った。

家族が捜索願を出したかどうかは判らない。ただ、突然神社を辞めてしまった。辞める時、普通は神社総代に挨拶ぐらいするものだ。仮にも宮司を務めたんだから。だが、そんな挨拶も一切なかったらしい。辞意を伝えてきたのは家族だった。神社の一番大切な祭りの日に顔を見せないと思ったら、突然辞めてしまい、突然姿を見なくなった。おそらく家族は居所を知っているんだろう。家出なのかどうかもわからない。問題なのは、彼が宮司を辞めてから一年以上経った今でも、次の宮司が決まらないことだ。みんな嫌がってなりたがらない。宮司代理もお断りだという。俺にも宮司代理の話が来たが、断ったよ。あれだけ由緒正しい立派な神社に、宮司も、宮司代理もいないなんて、前代未聞だ。

なぜ宮司代理の話を断ったか、わたしは元同僚に尋ねることはしなかった。仮にも「神」という得体のしれない存在に使える立場にあった者なら、ここまで聞けば想像がつくからだ。その神社で、何か障りがあったに違いなかった。元同僚の話はこうだ。

その神社は秋に例大祭がある。何百年にも渡って同じ日にお祀りをしてきた。かつて旧暦から新暦に移行した時は、例大祭をどちらの暦にあわせるかで、かなりもめたという。結果として、数字にあわせることになった。これまで通りの9月某日、つまり、新暦にあわせたのだ。その例大祭の日を、前宮司は突然変えてしまったのだという。総代の多くは反対したが、宮司の言葉にのせられ、結果的にみんなで例大祭日を変えてしまった。

理由は簡単。参拝客を集めるためだ。土日祝日に祭りをやった方が参拝客を集められる。観光PRにも貢献できる。観光客が増えれば地元も潤う。時代の流れに従う柔軟さがなければ、神社だって生き残れない。だから例大祭の日取りを固定するのではなく、祝祭日に変更するべきだ。参拝客が増えることは神社にとっても良いことだ・・・・氏子総代たちはそんな言葉に言いくるめられた。

祭礼日が変更された最初の年。祭りの前日に神社の馬が死んだ。馬ぐらい・・・と、お思いになるだろうが、この馬は前宮司が神馬として神社で飼い始めたもので、例大祭の流鏑馬を務める大切な馬だった。急きょ別の馬を手配して流鏑馬は無事に行われたが、例大祭日の変更に関わった総代の間からは不安の声があがった。流鏑馬の前日に馬が死ぬなんて、あまりにも不吉すぎる。祭礼日は今まで通りに戻すべきだ!・・・と。

だが、前宮司と数人の総代は取り合わなかった。祭りを祝祭日にしたその年、明らかに参拝客の数は増え、地元の観光にも良い影響があったからだ。次の年も例大祭は土日にあわせて行われた。だが、祭りに参加した総代は半分に減っていた。本来、12人いるべき総代のうち、半分しか神事に参加できなかった。あろうことか総代の半分が、一年の間にポックリ逝ってしまったからだ。さらに気味の悪いことに、祭礼日を変更した張本人が神事に出席しなかった。祭りの当日、宮司が姿をくらました。それっきり行方不明だと言う。

神社の異変を耳にした氏子(地元の人たち)からは、祭りの日を元に戻せという声があがっているという。だが、今年の祭りも祝祭日になるらしい。利害関係にある地元の観光業者や、それらと陰でつるんでいる人間が、祭りのPRにかけた費用回収に拘っているからだ。平日の祭りでは人が集まらない。コマーシャルに費やした大金が水の泡になる上に、先々の儲けも逃すことになるからだろう。

この不可思議な出来事の原因が、祭礼日を変えてしまったことへの天罰なのかは判らない。中心人物である前宮司の身に何が起こっているのかも、謎のままだ。だからこそ、誰も神社の宮司職に関わりたくないのだという。

日本の神様の威光は素晴らしく、けれど気まぐれで、突如立つ白羽の矢のように、いつ災難が与えられるか判らないことを、彼らは身に染みているからだろう。本当にあった、神社の怖い話。