妖怪・怪異・八百万の神々

【みたまさま】鉄子さんの遺品の鏡【神道】

自殺した鉄子さん(仮名)は、初老になろうかという一人暮らしの美人な女性だった。小さいながら粋で瀟洒な家に引きこもり、全く近所づきあいをしないので、最初は『陰のある女性』『美しい』『いつも上等な和服を着ている』以外、彼女の詳しいことは誰も知らなかった。しかし、もう十年以上前だが、ある日突然、いかにもマダムといった感じの女性が連日怒鳴り込んでくるという事件が起きた。

そのマダムによると、彼女は昔祇園で芸者をしており、当時亡くなったばかりのマダムの夫をパトロンとしていたという。家も家財も買ってもらい、さらに今回マダムの夫に相当の財産を分与されたらしい。どうやらその遺産問題のごたごたで騒ぎを起こしたらしく、最後はマダムのほうが玄関先で包丁を振り回し、隣人が通報するという大騒ぎとなった。それ以来、もともと疎遠だった近隣住民全てが彼女を避けるようになった。

京都という場所はなんだかんだと差別意識の強い地域であり、包丁を振り回すような事件に巻き込まれたくないというのもあり、また純粋に近所のおばさん連中の嫉妬もあったと思う。でも相変わらず鉄子さんは美しく、歳をとっても枯れるというより艶やかになっていった。しかし一年ほど前から、様子が変わった。

いつも入念に手入れされ常に美しかった庭に雑草が生えたり、毎日の打ち水と盛り塩がされなくなったり、今までみたこともなかった鉄子さんの親戚(と名乗る人物)が『鉄子さんの家はどこですか』と近所に聞いて回ったりするようになった。そして、朝晩さっそうとスポーツクラブに通っていた鉄子さんの姿を誰も見なくなった。

そして半年前、鉄子さんの親類という女子高生が泣きながら半狂乱で、たまたま庭を手入れしていたうちの母に助けを求めてきたのだ。誰も知らなかったが鉄子さんはガンで、見つかったときは末期だったそうだ。女子高生は鉄子さんの姪で、両親から鉄子さんの様子を見てこいといわれたのだ。鉄子さんは入院してからも『死ぬまで家を離れたくない、手放したくない』と言っていたのだが、子供のいない鉄子さんの遺産を狙った親戚が、まだ生きている鉄子さんの目の前で遺産争いを起こし、鉄子さんは逆上して親戚を全員追い出し、その晩病院を抜け出してしまった。おそらく自宅に帰っただろうというわけで、『子供なら会うだろう、とりあえず様子を見て来い』と彼女を家に向かわせたのだ。

しかし合鍵を使って家をあけた彼女が見たのは、自室で首を吊ったおばの姿だった。『おばさんはかわいそう、うちの親もおじさんたちも着物とか宝石とか家とかそんなことしか興味ないみたい』と彼女は言って、また泣いたという。(俺は会ってない。美人だったらしい。痛恨。)葬式は行われなかった。

警察の一通りの捜査がすんでから数日後、一度どうやら例の親戚が家に集まっていたようだが、あまり物を持ち帰っている様子ではなかった。貴金属など小さいものは知らないが、さすがに自殺となると気持ち悪かったのだろうか。しかしその次の晩から近隣住民は悩まされることになる。

どういったわけか、二階の窓が一つ開けっ放しのままで、電気もつけっぱなしなのである。そして部屋の中に和服がかけてあるのが見える。夜になるとそれがわずかな風でもゆらゆらと揺れて、まるで人の後姿のように見えるのである。高校生の暴走族らが肝試しで侵入してイタズラしたんだろうとは思ったが、それにしても不気味だった。親戚とやらに連絡してとりあえず一度は窓を閉め、着物を下ろし、電気を消してもらったのだが、数日後、また電気がついていて、今度はガラス戸の向こうにゆらゆらと何かがゆれている。もう、イタズラだろうがなんだろうが、あれは恐ろしかった。三ヶ月はそのまま放置されていたと思う。

そしてなんの前触れもなく解体工事が始まった。これがまたとんでもない業者で『いついつからこういう工事をするのでよろしくお願いします』などのあいさつも全くなし。周りをシートで囲ったり、騒音に気を遣うなどの配慮もなし。そして工事も解体というより破壊だった。庭の灯篭をショベルで壊すことから始まり、ガラスは全て金属パイプでかち割るし、家具も鏡も叩き割っていた。庭には高そうな食器や陶器が並べられていたが、昼休みにはそれを壊れた灯篭に投げつけて遊んでいた。庭でたまに何か燃やしていたが、もしかすると和服かもしれない。あまりの騒音に隣の家の住民が苦情を言ったのだが、鉄パイプを持った、がたいのいい作業員がガムを噛みながらやってきたら、誰でも対応は一つしかないと思う。

『あと数日なんで~~がまんしてくれますかねぇ~~すいませんねぇ~~』といわれたら、はい、としか言えないだろう。トラックに積み込んでいた家具の残骸なんかを見ても、本当に上等なものばかりだった。この家だって財産だって、別の家の遺産をいわば横取りして築いたもの。だから自業自得かもしれない。しかし、本当に上質のものだけを選び抜いて築き上げ、最後まで守りたかった家をこんな業者に荒らされ、破壊されつくすのは辛いだろうな、とつい思ってしまった。最後は巨大な重機で家を横からなぎ倒し、上から押しつぶしてから家の基礎部分まで地面を削り取り、工事は終了した。

何もかもが瓦礫となった後にもっていかれ、本当に他より地面が20cmくらい低くなっていた。どういったわけか柵だけは残されたが、事情を知っていれば何もなくても誰も立ち入ろうとしないだろう。そこに一週間前に行って来た訳だが……元々飼い猫が家を逃げ出してそこの敷地でにゃーにゃーいうから仕方なく門を押し開けてそこまで行った。抱き上げてふと地面を見てぎょっとした。

ちょうど男の手のひらにすっぽり入るくらいの、丸い手鏡。紫色の房飾りがあったようだが、すぐ目をそらしたのでちゃんとは見ていない。それが割れるどころか傷も汚れもなく、ぽつんと落ちていた。あれだけの破壊の後でなぜ、というのもあるけれど、もう一つ理由がある。うちは神道だが、仏教で言う位牌の代わりに神道では鏡を使う。鏡は『みたまさま』と呼ばれ、葬式では鏡に魂を移す作業もある。その『みたまさま』と鏡が、ソックリに見えたのだ。見た瞬間、背中がぞくりとして嫌な汗が出た。

すぐに引き返したが、門で一度振り返ると夕日をきらりと映していた。ネコもろとも家の前で塩祓いしたのはいうまでもない。彼女は荒地となった今もあそこを家としてとどまり続けているのだろうか。